大谷翔平の甲子園の成績は?世界の二刀流の高校時代をストーリーで振り返る!

いまや押しも押されぬ世界トップ選手となった大谷翔平選手

WBCでの活躍も記憶に新しいですね。

そんな大谷選手も、かつては甲子園を目指す一高校球児でした。

甲子園は2年生の夏・3年生の春の2度出場し、いずれも初戦で敗退という結果に終わっています。

成績はこちら。

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2011年(2年生)夏の選手権:帝京高校戦〔スコア:7-8〕
投手 | 5回2/3|被安打6|奪三振3|四死球4|失点3(自責点1)|防御率1.59
打者 | 3打数1安打|打点2|三振1|四死球2
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2012年(3年生)春のセンバツ:大阪桐蔭高校戦〔スコア:2-9〕
投手 | 8回2/3|被安打7|奪三振11|四死球11|失点9(自責点5)|防御率5.91
打者 | 3打数1安打(本塁打1)|打点1|四死球1

大谷選手はどんな高校時代を過ごしたのでしょうか?

そこには二刀流として世界トップにまで登りつめるための布石がたくさん散らばっていました。

今回は大谷選手の高校時代を年度ごとに紹介し、その成長ストーリーを振り返っていきます。

目次

大谷選手を成長させた2つのポイント

大谷選手の高校時代は、ケガとの戦いと言っても過言ではありませんでした。

そんな中でも、3年生の夏には高校最速160km/hをマークするまでに成長を遂げています。

その成長を語るうえで、欠かせない2つのポイントがあります。

  • 佐々木洋監督を含めた花巻東高校の育成方法
  • 花巻東高校のチームメイトの存在

この2つが大谷選手をどう成長させていくのか?

大谷選手の高校時代の軌跡を1年生から時系列で見ていきましょう。

1年生:先を見据えた育成方法

大谷選手が中学3年生の年。

花巻東高校は菊池雄星投手を擁して、春のセンバツ準優勝・夏の選手権ベスト4の成績を収めました。

岩手県全体が一つになるのを肌で感じた大谷選手。

「次は自分が花巻東で日本一を決める」という気持ちで、同校の門を叩きます。

大谷選手は入部した時から投打ともにポテンシャル十分でした。

ただ花巻東の佐々木洋監督は、1年生のうちは体づくりに専念させるため外野手として試合に起用します。

高校の3年間、そしてその先までを見据えて、まずはじっくり育てることを選択しました。

それでも3年生が抜けた1年秋にはマウンドに上がり、最速147km/hをマーク

140km/h台の後半でトップクラスと言われる高校野球では、1年生の記録として驚異的なスピードでした。

その素質の高さから有望選手の一人として、全国に名前が知れ渡ることになります。

菊池雄星投手の時の教訓を生かして

花巻東の先を見据えた育成方法の背景には、菊池雄星投手の時の教訓があります。

菊池投手は、甲子園ではオーバーワークにより背中痛を発症し、準決勝はわずか11球での降板。

その後西武に入団するも、故障の影響でプロ1年目をほぼリハビリに費やすことになります。

雄星の時は花巻東からプロ選手を出したいという思いがあり、近い素材が入ってきて気を使ったが、最後にはけがをさせてしまった。その反省が大谷に生きた。

「大谷翔平 挑戦」(岩手日報社)

現在、花巻東では投手の肩やひじに異常がないかをレントゲンで確認し、トレーニングメニューに生かしているそうです。

また佐々木監督は、大谷選手の骨がまだ成長段階にあることを見極め、その後の育て方を計画していました。

骨の成長が止まって、初めて横に太り出し、筋力もついてきます。体が出来上がるのはそれ以降。大谷はまだ伸び盛りの状態だったので、それを踏まえて起用しなければと思いました。

NEWS PICKS

すでにチーム一番に近いボールを投げていた大谷選手。

試合に勝つことだけを考えたら、監督としてはどんどん使っていきたかったところ。

そこはグッと抑え、大谷選手の将来のために体と心の成長に合わせた育成をしていくことになります。

2年生夏:ケガを抱えながら甲子園デビュー

大谷選手2年生の夏。

花巻東は地方大会を勝ち抜き、見事甲子園の切符を手にします

ただ大谷選手は、地方大会前に左太もも裏に成長痛(骨端線損傷)を発症。

背番号「1」をもらいながら、地方大会はリリーフとして1試合に登板したのみでした。

迎えた甲子園初戦は、強打の帝京高校

大谷選手は4回から登板するも、痛みにより本来のフォームとは程遠い上半身に頼った投げ方になってしまいます。

それでも勝負どころでは、2年生の甲子園最速記録150km/hをマーク!(田中将大投手とのタイ記録)

仲間も奮起し反撃に出るものの一歩及ばず、7ー8と惜敗し甲子園を去ることになります。

痛みに耐えながら投げる大谷選手に応えようと、チーム一丸となって戦った好ゲームでした。

試合後、大谷選手は

打たれても仲間がカバーしてくれた。エース番号をもらって、信頼してマウンドに送り出してくれたのに。どうしても抑えたかった。

と、声を震わせながらインタビューに答えています。

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2年生の夏:帝京高校戦の成績
投手 | 5回2/3|被安打6|奪三振3|四死球4|失点3(自責点1)|防御率1.59
打者 | 3打数1安打|打点2|三振1|四死球2

2年生秋:仲間とともにセンバツ出場に向けて

全国の舞台で結果を残せなかった大谷選手。

悔しい思いをしていたのはチームメイトも同じでした。

『翔平はこんなもんじゃない。もう一度甲子園に連れて行く』

そのスローガンを掲げ、夏以降一度も登板できなかったエースを甲子園で投げさせるため、激戦の秋の大会を戦い抜きました。

そしてセンバツ出場の切符を掴み取ったのです。

間近でずっと大谷選手のすごさを見てきた仲間だからこそ

全国の人たちに本物の大谷翔平を見てほしい

という思いがあったのかもしれません。

この頃から、大谷選手は取材で仲間について語ることが多くなったといいます。

みんなのおかげでセンバツに行ける。秋以降投げられなかった分、甲子園で恩返しがしたい

もう一度甲子園のマウンドに立つチャンスをくれた仲間たちへの感謝が、ケガからの復活を誓う力になっていました。

3年生春:王者に挑んだ2度目の甲子園

迎えた3年生の春・センバツ大会。

大谷選手はケガこそ癒えたものの、公式戦は昨夏以来7ヶ月ぶりの登板となりました。

初戦の相手は藤浪晋太郎投手を擁し、この年春夏連覇を達成することになる大阪桐蔭

大谷選手は序盤こそ大阪桐蔭打線を抑えていたものの、中盤以降は調整不足がたたりジリジリと失点。

後半は守備の乱れもあり、2ー9と完敗してしまいます。

それでも強打の大阪桐蔭から11奪三振を奪い、打者としては藤浪投手からームランを放つなど、投打で光るものを見せた試合でした。

『翔平はこんなもんじゃない。もう一度甲子園に連れて行く』

この言葉は、最後の夏の大会へと引き継がれることになりました。

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3年生の春:大阪桐蔭高校戦の成績
投手 | 8回2/3|被安打7|奪三振11|四死球11|失点9(自責点5)|防御率5.91
打者 | 3打数1安打(本塁打1)|打点1|四死球1

復活を目指して、強い体を作る

2年夏の甲子園以降、センバツまで公式戦の登板を回避していた大谷選手。

そこには佐々木監督の「急ぐ必要はない」という方針がありました。

身長がまだまだ伸びていた大谷選手は、投球フォームやリリースポイントをもう一度作り直す必要があります。

それならケガを治しながら、今はじっくり体づくりをしていこうという思いからでした。

結果、運動・栄養・休息のバランスが良くなり、投手としてぐんぐん成長していくことになりました。

入学当初、186cm・66kgでヒョロっとした体型だった大谷選手。

最終学年に上がる頃には、193cm・86kg体重20kg増の強い体に仕上がっていました。

3年生夏:最後の大会で渾身の160km/h

大谷選手とチームメイト、そして佐々木監督の集大成となる最後の夏の大会を迎えました。

県大会準決勝の一関学院戦で「その時」は訪れます。

6回表、ニ・三塁のピンチの場面で相手の5番打者に投げた一球が160km/hを記録!

大谷選手自身

もっとも自信のある球を思い切り投げた

と話す渾身の一球は、高校野球史上初の160km/h計測となりました。

決勝の相手は、盛岡大附属高校

序盤の失点に苦しみながら、大谷選手は15奪三振をマークします。

それでも打線が相手投手を打ち崩せず、3ー5と惜敗

「翔平はこんなもんじゃない」を掲げて臨んだ花巻東の挑戦は、甲子園まであと一歩のところで幕を閉じます。

試合後、大谷選手は

岩手の方々に日本一を取って喜んでもらいたかったけど、それができなくて悔しい

と声を詰まらせながら取材に答えていました。

投打で成長した高校時代を終えて、次の舞台へ

大谷選手の高校3年間は、ケガもあり本調子で投げられた期間がごくわずかというガマンの時だったのかもしれません。

それでも、じっくり育てる花巻東の育成方法と大切な仲間たちのおかげで、投手としても打者として成長した3年間になりました。

大谷選手の残したものは、それだけではありません。

県大会決勝で戦った盛岡大附属高校は、大谷選手のボールを打つために、バッテリー間の半分の距離にマシンを置いて打撃練習をしていました。

大谷選手の存在が、この年の高校球児の打撃レベルを引き上げたと言われています。

ガマンの中でもしっかり自分を磨き、成長してきた大谷選手。

次はプロの舞台で「二刀流」という誰もなしえなかった大きな花を咲かせていくことになりました。

まとめ

大谷選手の甲子園での成績と、高校時代の成長の軌跡を時系列で振り返ってきました。

のちに二刀流として花開くための土台が、たくさん見えてきたのではないでしょうか。

そこには、花巻東の育成方法仲間の存在がありました。

高校時代に培ったさまざまなものを背に、メジャーの舞台へと羽ばたいていった大谷選手。

2023年シーズンはどんな活躍を見せてくれるのか、これからも目が離せないですね。

最後にもう一度、甲子園での成績を載せておきます。

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2011年(2年生)夏の選手権:帝京高校戦〔スコア:7-8〕
投手 | 5回2/3|被安打6|奪三振3|四死球4|失点3(自責点1)|防御率1.59
打者 | 3打数1安打|打点2|三振1|四死球2
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2012年(3年生)春のセンバツ:大阪桐蔭高校戦〔スコア:2-9〕
投手 | 8回2/3|被安打7|奪三振11|四死球11|失点9(自責点5)|防御率5.91
打者 | 3打数1安打(本塁打1)|打点1|四死球1
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